住宅建築1997年10月号 特集/コストとクオリティー 

フレームにコストをかける

流動的な生活への対応
龜谷  清
虚構と固定化の住空間

最近、あるキッチンメーカーのショールームに新商品の展示会を見に行った。そこには新しい商品が美しくセットされていた。見るからに気持ちよく美味しい料理が楽しくできそうである。いかにも機能的で使い勝手が良さそうに見える。 しかし、実際はそう簡単にはいかないように思う。そこにあるのはお客の夢であり願望であり、現実の生活ではないのである。お客の要望に合わせ、無駄なく有効に収められた収納スペース、それらはお客の願望が作り上げたイメージによって作り出された舞台装置である。舞台装置は現実の物ではない。それらは虚構である。
あたりまえのことだがキッチンでは物を洗い、切り、そして煮炊きするといった最も基本的な作業ができることが大事である。システムキッチンとは、本来この作業がしっかりできるようにまず作られ、それを使いながら他の物を付加していける物であるべきではないだろうか。ここで住宅全体について考えてみると同じようなことが言えるのではないだろうか。今ではあまり見受けられなくなったが、新しく住宅を建てる時に、応接間なる物が作られた。そこには、応接セットと称する家具が所狭しと鎮座していた。応接間は明治以降に西洋建築の様式と共に日本に持ち込まれ、上流社会の家に作られていった。それは庶民にとって豊かさの象徴であったであろう。
そこで戦後新しく住宅を建てる時には必ずといっていいほど応接間が作られた。しかし、それは現実の生活の必要からでなく豊かな生活のイメージとして作られた部屋である。現実の生活の中ではすぐに使われなくなるか、応接セットが家の片隅に追いやられてしまう。応接間は一般庶民の生活に必要ではなかったのである。上流社会の生活様式への憧れのみによって作り出されたものなのだ。このようなことは、現代の住宅においても多々見られるのではないか、そもそも日本の住宅においては、部屋の使い方を規定する意識は希薄だったように思える。 それは、室名からも伺える。日本における室名は、台所とか風呂場のようにどうしても固定的にならざるを得ないもの以外、その部屋の在り方(中の間、奥座敷、北八畳、表座敷等)で表現されてきた。その部屋の使われ方を示す表現は使われていない。明治以降に西洋建築が入ってきた時から、室名をその部屋の用途で表わすようになったと言える。 そのいい例が応接間であると思う。日本の住まいに対する生活のイメージは非常に曖昧であったと思う。
戦後、食寝分離、隔離就寝の原則によって住宅の計画はなされてきた。そしてnLDKで表現される住宅のパターンが作り上げられてきた。そこでは、ダイニングは食事のための部屋であり、リビングは一家団欒のための部屋であるというように、あるべきイメージと共に部屋の使われ方を固定化していったのである。

住まいの原点に立ちかえる

ところが、現実に住まうということは単純にはいかない、イメージはある時点で切断され作り上げられるが、現実は時間と共に動いていく。それも一定の方向ではなく、動きは非常に曖昧である。部屋の使われ方を固定し、その中にこのような現実を押込めることには無理がある。住宅を建てようとする人は、その時点で新居での生活をイメージし設計者に要望を出す。しかし、そのイメージはどのように作り出されるであろうか。それは現実の自分の生活よりも、家庭雑誌、プレハブメーカーの展示場、テレビドラマ等々のメディアから作り出されたイメージをより所とした願望によって作られていると思える。しかし、生活は現実であり連続的なものである。新しく住宅を建てて住むことによって突然に生活が変わる訳はない。生活は今までの流れの延長上にしかあり得ない。nLDKでイメージされたように部屋そのものの住まわれ方を固定化することは、ここでは意味をもたなくなる。

こう考えると、住宅を設計することはどういうことになるだろうか。曖昧で流動的な生活の器としての住まいの在り方を考える時、もう一度住まいの原点に立ち返って考えてみる必要がある。住まいの原点は、雨露をしのぎ安心して寝起きができる心の寄りどころとなる場である。住宅を建てるということはその住まいづくりの出発点であって、終着点ではないと思う。住宅は住みながら作り上げていくべきものだと考える。そこで住宅設計の在り方としては、住まいの原点を踏まえ、住まいを緩やかに方向づけるフレームを作ることだと思う。住み手は、そのフレームを手掛かりに時間と共に自分の住まいを作り上げていける。フレームはその住まいの基本を構成するものであり、時間の流れによって変わることのないものである。この固定化されたフレームの中に、変化する生活に合わせそれぞれの仕掛けを組み込んでいけばよい。そうすることによってイメージとしての住宅でなく、現実の生活に呼応する住まいを作ることができるのではないだろうか。 住宅のコストには限りがあり、この限られたコストの中で時間に耐えられるしっかりとした住宅を得るためにも、まずこのフレームにコストを掛けるべきだろう。時間要素を組み込んだコストコントロールが必要になってくる。住まいは時間とともに作り上げられるべきだ。その基本となるのがフレームである。このようなフレームを設計することこそが住宅を設計するということではないかと考える。そう考えるとき、日本の伝統的な民家の中にヒントがあるように思える。戦後の住宅近代化運動の視点ではなく、別の視点から見つめることが必要ではないだろうか。 

かめたに・きよし/建築家

西林木の家

 

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